カトリック六甲教会ではこの4月、主任と助任の司祭を同時に交代いたしました。松村神父・片柳神父 お二人には色々とお世話になりました。簡単ではありますが感謝の言葉を申し上げたいと思います。
松村主任司祭は5年前に、山口ザビエル教会の主任司祭から転任されてきました。手術直後に新しい任地の六甲教会へこられた(2ヶ月遅れて)にもかかわらず、またその後も毎月1回の検診を受け続けるというコンディションの中で、それを垣間見せることも無く、精力的に働いてこられました。主日のミサを司式された後、すばやく祭衣を着替えてから玄関へ出てミサの参加者と笑顔で挨拶や会話を交わされておられました。高齢者や病者への互いの見守りや配慮しあえる教会を目指して、地区会作りを進められました。この地区会は毎週の掃除や教会行事などを担っていく中で、家族ぐるみの、また地域中心の横のつながりを強くしていきました。そしてさらに活力のある確かな運動体へと成長しつつあります。また行事の予定や教会の仕組みをわかりやすく説明する目的での「教会のしおり」の発行と配布も神父さまの下で定着してきました。日曜日の説教や教会報などを通して、祈りの実践を勧め、信徒使徒職についての自覚を促すなど啓蒙にも心がけてこられました。その他に教会の財務など多くの足跡を残されてはいますが、まだまださまざまな取り組みの途上にあるのに突然の転任ということで、心を残されての長崎に移られるのだと思われます。モモちゃんと街を散歩される姿はもう目撃されません。納涼の夕べで聴いたあの豊かな歌唱力に私たちが触れることも無くなります。長崎立山修道院(黙想の家)で、六甲の皆様をお待ちしていますとのことです。新天地でのご活躍お祈りいたします。
片柳神父さまは6年間助任司祭として働いていただきました、「ヤギー」と子供たちから親しまれ、青年たちに山歩きを誘われるなどよくしていただきました。子供たちは着実に成長してますます立派な若者になって行きます。神父さまのごミサでは、迫力ある声での聖歌や説教に、私たち信徒は圧倒されるばかりでした。ヤギー神父誕生に大きな力を果たした「マザー・テレサ」についてのお話されるときの眼の輝きは印象深いものでした。大阪教区の神戸地区長をされている時は、東日本大震災の被災地を訪れ、特に福島については「ふっこう(福島・神戸)のかけはし」を実現させるための大きな力となられました。神父さまのことは写真とインターネットを離して語ることはできません。祈りの言葉を添えたカードを何度か頂戴しました。教会入り口の掲示板に張られた神父撮影の写真ポスターに道行く人が目を止める様子を見かけました。その写真を撮るための被写体=花や鳥・虫たちを追う(待つ)意欲には執念を感じさせられるほどです。若い人に声をかけて呼びかけるにはとブログを開設し、さらに双方向の対話を求めてツィッター(フォロアーは数千人と伺っています)やフェイスブックなどSNSを駆使して「デジタル大陸」での宣教を進めておられます。新教皇の情報もSNSを通して多くの発信をされてきました。このあとは宇部・小野田の3つの教会と3つの幼稚園の間を飛び回られることでアナログ的な機動力も必要となります。まだまだ若い神父さまですので、ますますご活躍下さい。
アルフレド神父さまはアルゼンチンからやってこられたイエズス会宣教師です。「日本で働きたかった」といわれる教皇フランシスコが、管区長・司教・枢機卿になられる前に神学院の院長でおられるときに、その指導を受けられました。これまで東京四谷のイグナチオ教会で長く働かれておりました。関西は初めてなので色々と教えて下さいと言われています。しっかりした信仰を基にしたパワーのある、しかし優しく信頼される神父さまとお聞きしております。
高山神父さまはご存知のようにベトナム出身で日本に帰化されました。前に六甲教会で助任司祭をされております。8年程西成の「旅路の里」で働かれました。この3月までのしばらくの間は迫害下にある母国ベトナムでの修錬のお世話をされており、そのため日本語を忘れてしまったと、きれいな日本語で話しておられます。底辺を担う人々の中で生活し、交流に関わってこられた神父さまの優しくも強かな心に触れて、私たちも福音を告げていく生き方を身に着けていけたらと思います。
松村神父さま 片柳神父さま これまで本当にありがとうございました。新しい任地でも主のために精一杯お働きください。教会員一同、感謝とともに心よりお祈りしております。
また新しく六甲教会で働かれるアルフレド神父さま、久しぶりに戻られた高山神父さま、引き続きおられるコリンズ神父さまと力を合わせて、祈りのうちに、福音を宣教する生きた共同体となるべく新たな決意をしたいと思います。