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                  レッツ!教会学校     

六甲教会 教会学校は小学生なら、どなたでも(信者・未信者問いません)入学できます。
また、いつからでも入学ができますし、見学もできます。
見学・入学ご希望の方は教会事務所まで、お問い合わせ下さい。

教会学校リーフレット 

    

◆Jesus Kids(ジィーザスキッズ)
           
No.183(2015/3/14発行)
ジィーザスキッズは教会学校の季刊紙(年に3〜4回発行)です。


教会学校予定 中高生会 予定   

 4月11日(土) 入学式・始業式  

 4月12日(日) 初聖体・祝福式 
              10時ミサ&ミサ後、祝賀会

※ 5月より「子どもと共に捧げるミサ」は
               第3日曜日に変更になります。

4月4日(土) 13時〜イースターエッグ作り 
       
4月5日(土) 新年度開始


 

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お友だちをゆるしてあげよう

                               片柳弘史 神父

 イエスさまは、わたしたちに「お互いにゆるしあいなさい」と教えてくださいました。でも、自分をひどいめにあわせ相手をゆるすのは、とてもむずかしいことですね。どうしたら、ゆるすことができるのでしょう。
 ゆるすことの最高のお手本は、十字架につけられたイエスさまです。イエスさまは、自分をひどいめにあわせ、ころそうとしている人たちのために、十字架の上から神さまにこうおねがいしました。
 「神さま、この人たちをゆるしてあげてください。この人たちは、自分がなにをしているのかしらないのです。」
 ふつうなら、「神さま、この人たちをやっつけてください」とおねがいするところだと思いますが、イエスさまはまったく逆のことを神さまにお願いしました。自分をひどいめにあわせた人たちをゆるしてあげてくださいとたのんだのです。
 その理由は、「自分にわるいことをしたこの人たちは、自分が悪いことをしているのをしらないから」ということでした。イエスさまをひどい目に合わせた人たちは、目の前にいる人が「神さまの子ども」だとは知らなかったのです。その人たちは、イエスのことを、わるいことをしたわるものだとおもっていました。だからイエスをたたいたり、ムチでうったりしたのです。その人たちが、イエスがいい人だと気づいたのは、イエスが死んだあとでした。
 皆さんにいじわるする子、ひどいわるぐちを言ったりする子も、自分がなにをしているのか知らないのだろうと思います。みなさんが、大切な「神さまの子ども」だということに気づいていないのです。それに、たぶんその子たちは、自分たち自身も大切な「神さまの子ども」だということを知りません。だから、神さまを悲しませるような悪いことができるのです。
 そう思ったら、そんなことをする相手のほうがかわいそうだと思いませんか。そんな大切なことにさえ気づいていない子に腹を立ててもはじまりません。皆さんは、むしろそんなことをする子たちに「みんなが大切な『神様の子ども』なんだから、仲よくしなければ神さまは悲しむんだよ」と優しく教えてあげましょう。

 

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しあわせになるために必要なもの

                         
片柳弘史 神父

 東日本大震災があってから、わたしはずっと「わたしたちがしあわせになるために必要なものってなんだろう」と考えています。今までに考えてきたのは、だいたい次のようなことです。

しあわせになるためにたくさんのものは必要ない
 3月11日、わたしはカルカッタで大震災のニュースを聞きました。大地震の直後、マザー・テレサの三代目の跡継ぎである、Sr.プレマはマザー・テレサのお墓の前に、カルカッタで働いている日本人のボランティアたちを集めてこう話しました。
 「今回の大震災によって、日本はもしかすると元の通り豊かな国にはならないかもしれません。でも、安心してください。しあわせになるために、たくさんの物は必要ないのです。」

おばあさんが大切にしていたもの
 日本に帰って来て、東日本の被災地に行ったとき、わたしはこの言葉が本当だなあと思う出来事に出会いました。牡鹿半島の小さな村に行ったときのことです。
仮設住宅の一つを訪ねたとき、笑顔がとても素敵な一人暮らしのおばあさんと出会いました。長いあいだ看護師として働いていたのだけれど、おじいさんは先に天国に行き、ずっと暮らしていた家も、家具や大事なたくさんのものと一緒にぜんぶ津波にながされてしまったとのこと。でも、おばあさんは、そんな話もにこにこと素敵な笑顔を浮かべながら話すのです。わたしは思わず、「全部なくなってしまって、悲しくないのですか?」とおばあさんに尋ねました。すると、おばあさんはテーブルの上に置かれた一冊の本を手にとって言ったのです。「わたしには、この聖書さえあれば十分なんです。ちっとも悲しいとは思いません。」
 聖書の中には、イエス様がいてくださいます。おばあさんは、イエス様さえ一緒にいてくれれば何も悲しいことなんかない、そう言ったのです。わたしは、この言葉を聞いてとても感動しました。大きな家がなくても、便利な電気製品やぜいたくな服がなくても、このおばあさんは幸せでした。Sr.プレマが言った通り「しあわせになるために、たくさんの物は必要ない」のです。イエス様さえいてくれれば、それだけで十分幸せになれるのです。

原発は必要か?
 福島で原発の事故が起こってから、原発は本当に必要なのかということが大きな話題になっています。あんな大事故が起こったのだから、当然のことですね。
原発が必要だという人たちは、日本人が幸せになるためには、電気をどんどん作って工場を動かし、お金をどんどん稼がないといけないと言います。でも、本当にそうでしょうか。
 日本の教会の代表者である司教様たちは、そうではないと考えています。むしろ、放射能によって人間の命を脅かし、自然を破壊する原発は、わたしたちをしあわせにしないのです。今こそわたしたちはたくさんの物を求めない生活、さっきのおばあさんのように少ない物で満足して、イエス様と一緒にしあわせに生きる生活を始めるべきだと司教様たちは言っています。「しあわせになるために、たくさんのものは必要ない」のです。

本当に必要なものはなんだろう? 
 わたしたちがしあわせになるために、本当に必要なものはなんでしょう。この機会に、一人ひとりがよく考えてみてください。そして、みんなで一緒に新しい日本、誰もがしあわせに生きられる日本を作っていきましょう。

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