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図書紹介

「祈りの心 −愛の息吹」奥村一郎著 海竜社
   おほしさんが
   ひとつでた
   おとうちゃんが
   かえってくるで
という幼児の口にした詩からこの本は始まる。

「祈りとは何か?」「どう祈ったらよいのか?」など信仰生活で一番大切なことがはっきりしないのは私だけでしょうか。

「奥神(おくしん)」(奥村神父様のことを学生達は愛称・略称で呼んでいた)に私が最初に出会ったのは40年前の学生時代だった。京都で開かれたカトリック学生連盟の大会で「人間疎外」のテーマで講演された。本書にもよく引用されているサン・テグジュペリの「星の王子様」や八木重吉の詩、そして仏教経典まで引用されて、分かりやすく深い話をされた。この講演を聴いて、井の中の蛙が突然広い世界に引きずり出されたような感動を私は覚えた。それから奥神の講演会にはなんども出席し著書を読んだ。奥神はカルメル修道会の指導司祭で、バチカンからも信頼されている日本を代表する神学者である。しかしそこで話されることは西洋臭いキリスト教ではなく、日本的文化への受肉の基礎となる東洋的霊性(れいせい)と西洋神秘神学の接点があった。奥神はもともと東京大学在学中「禅仏教」に親しんでいて、カトリックになった方だから、禅を始め東洋思想や日本古来の神道についても詳しく、東西霊性交流でも指導的役割を果たしている。西欧のカトリック修道者が日本の禅寺で何日間も座禅を組んだり、日本の禅僧が西欧の修道院に泊まりこんで、修行に励んだりするのは新聞報道などでご存知と思う。またスペインの神秘家である十字架のヨハネの翻訳も出しておられる(カルメル山登攀)。

「祈りとは、お互いに愛しあうこと、それこそ祈りの基本となる」(69頁)と奥神は言う。その後、幸福の条件の項では「小事と大事」が語られる。焼きナスを嫁から食べさせてもらえなかった姑は自殺を図る。しかも飛行場に入り込んで、離陸しようとしている飛行機の車輪の前に寝転んで、ひき殺されようとしたという。「そんな馬鹿な!」と誰しも思う。焼きナスを食べることは「小事」である。しかし姑にとっては命に関わる「大事」だったのだ。奥神は言う「そもそも宗教というのはこのような小事と大事の奇怪な転倒を正常な状態にもどすことにあるといってよい。つまり、この世の小事をすてて、人生の一大事を追求することに、信仰の出発があり、終局がある」と。しかしこの「小事と大事」にはどんでん返しがある。つぎのような言葉である。「飢えた者に食を与え、渇いた者に飲ませ、病気の者を見舞い、牢獄にいる者を訪ねる・・・・・この一切は、この世の小事である。しかもこのような、食べること、飲むこと、着ることが、愛によって大事に変わる。つまり尊い瑣事となる」。その他どの頁を読んでも心打たれる言葉に溢れている。是非一読を勧めたい。

1章 幼児に学ぶ「日本人の宗教性―その鋭さと豊かさ−」
2章 祈りの旅路
3章 心の歌
4章 生死事大
5章 祈りの姿
 「おわりに」祈りにおける東西の出会い
   きりすと
   われにありとおもうはやすいが
   われみずから
   きりすとにありと
   ほのかにてもかんずるまでのとおかりしみちよ
   きりすとが わたしをだいてくれる
   わたしのあしもとに わたしが ある(八木重吉)

奥村神父様の書かれた本書と外国語にも翻訳されている「祈り」は六甲教会の図書室にあります。勿論聖パウロ書店でもお求めになれます。

(大西)

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