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主任司祭より(1月)

皆様、新年おめでとうございます。西暦2003年・平成15年のお正月を迎えました。恵みあふれる聖マリアの取りなしを願いつつ、皆様とご家族・ご友人お一人お一人のご健康とご多幸をお祈り致します。この元旦に全世界の教会は「神の母聖マリア」の祭日をお祝いし、「世界平和の日」として不和や分裂、テロや飢餓のない平和な世界が来るように特別な祈りを捧げます。“平和を実現する人々は幸い。その人たちは神の子と呼ばれる”(マタイ5章)。平和をつくり出すことは、私たち神さまの子供にとって根本的な使命です。教会で家庭で社会で、全ての善意ある人々と手を携え平和な世界を実現していくことは、私たちの切なる願いです。不条理で不可解なことの多い人間の世界を直視する時、如何なる出来事も心に納め思い巡らしながら祈るマリアの姿こそ平和への道 ―神の恵みとしての平和― を指し示しているのではないでしょうか。

私達は祈りの中で、“恵みあふれる聖マリア”と親しく呼びかけます。マリアに充満していた“神の恵み”とは、ラテン語のカリス、カリスマ、グラチアという語に由来し、美しさ・優雅さ・やさしさという人を惹き付ける魅力(英語のcharm/grace)を意味しています。即ち、あの人は包容力のある暖かい方ね、(幾つになっても)かわいい人ね、チャーミングね、と言う時の魅力となって現れるものです。その人と会いたい、一緒にいたい、もっと話していたい、と願う気持ちが湧いてくるような魅力であり、成熟した人格を通して与えられる賜物です。心の中に不満やイライラがなく、外面的なことに引きずられない平和で落ち着いた心、神に愛され救われているという信仰から滲み出て来るものでしょう。神の恵みは他者をいやし他者を暖かく包みながら、人々の間に平和をもたらして行きます。

御子を宿したマリアは歌います。「私の魂は主をあがめ、救い主である神を喜び讃えます。身分の低い、このはしためにも目を留めて下さったからです」(ルカ1章)。聖書的に言えば“神の恵み”は、上位の者が下位の者に向ける眼差しの中に現れます。旧約エステル記によると、「(王妃エステルは)もし私が、王のお心に適いますなら・・」(5章〜8章)と言いながら何度か願い事をします。その箇所を直訳すると「あなたの瞳の中に恵みがあるなら」となり、あなたが特別に目をかけて下さるなら、という意味になります。つまり、恵みとは自分よりも上位の者から特別に愛され、その暖かい眼差しを受けることに他なりません。下位の者は自分を見つめてくれる方の眼差しに恵みを感じるということです。尊敬し憧れている方から目をかけられる(見つめられる)ことは、無力な人間にとって恵みとなる。何故なら、目をかけられるということは、相手の愛と力に包まれ守られていると感じるからです。詩編の祈りも、「神よ、瞳のように私を守って下さい。・・あなたの御目を私に留めて下さい。・・♪神の注がれる目は・・♪神よ、私に目を注ぎ強めて下さい・・♪」というように、神の眼差しを求める形を取っています。人間同志でも、優しく見つめ合う眼差しの中に深い喜びを感じるものです。皆様も他者から向けられる暖かい眼差しに心がはずんだり、いやされたりした経験があると思います。家族・友人・知人の間で・・・。実は、天国からもじっとあなたを見つめている方がおられると思います。そして、あなたも何時の日か天国から、地上に残した愛する人々を見つめることになるであろう、その慈愛に満ちた優しい目を、今の時から練習し実践されては如何でしょうか?

神はマリアに目を留められたように、私達一人一人にも優しい眼差しを向けておられるのです。神の眼差しは、或る人には人生全体を照らす光のように、或る人には花婿のような目、或る人には憐れみ、或る人には希望と勇気を与えるような目となって輝きます。ご自分の目に入れても痛くない程、神は私達一人一人を愛しておられるのです。どうか新しい年が、神の眼差しを感じる恵みの年・平和な年となりますように。

桜井神父
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