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信仰のつばさを広げてくれる「苦しみ」(4)〜家庭訪問の分かち合い〜

ひとりの女の子、アミちゃんは白血病に苦しんでいた。その子は「どうして、私がこのような病気になったのか?なぜ、この病気でいつも苦しむのか?」と神に問い掛けながら、枝から枝へ飛び回る小鳥を眺めた。「あの小鳥と同じように飛び回りたい、この苦しみから自由になりたい」と、飛んでいる小鳥のつばさの羽をスケッチした。実は、彼女の看病をした父親は後ろから娘の嘆き声を聞いていた。彼女のところに近づいて、「ああ、すばらしい小鳥のつばさのスケッチだね」と話し掛けたら、彼女は「ありがとう。神様が私の絵を見たら、きっと私を自由にしてくれると思って、あの小鳥のつばさを描いたの」と少し元気を出した。

父親は「そうか、あの小鳥と同じく、苦しみから自由になり、飛び回りたいのか。神様はきっとアミちゃんの願いをかなえて下さるよ」と娘の願いを理解しようとした。

何ヵ月後、アミちゃんは自分が描いた絵を完成し、その絵を「父へ」と宛てられた白い封筒に入れて、笑顔で神の御許に旅立った。父親がその封筒を開けると、娘が描いた絵の中に、もう一羽の飛び回った小鳥のつばさが描かれて、その小鳥は「アミ」と名づけられていた。

アミちゃんの物語は未だに私たちの間で語られている。耐えられないほどの苦しみに直面している方々は、どうしてこのような苦しみに会うのか?その方々を看病する多くの人々も同じ問い掛けを持つかもしれない。私たちの嘆き声に対して、神はあたかも無口でおられるように感じられるが、人間誰しもそのような体験を避けられない。イエスご自身でさえ十字架上で「父よ、父よ、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という体験をした。

その時こそ、私たちは信仰のつばさをもっと広げるようにと招かれている。たとえ、この地球のすべては雨雲に包まれても、空の上に太陽が輝いていることを信じるなら、現在あたかも神は無口に感じられるにもかかわらず、私たちは神が変わらぬ忠実な方であることを信じる。

神が忠実であるように私たちも忠実であれば、年末と年初に信仰のつばさを広げて神のところへ旅立ったマリア原洋子さん、マリア中山光子さん、ベルナデッタ奥野元さん、エリザベット八木美喜子さんの信仰の喜びをきっと味わうようになるに違いない。

(バンバン・ルディアント神父)
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