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初聖体・祝福式  〜保護者・子どもたちの感想〜

4月27日は、この日を祝福するようによく晴れた日でした。10時のミサの中で、15名の子どもたちが初聖体の、2名の子どもたちが祝福のお恵みをいただきました。教会学校2年生クラスでは、1年間かけて、この日のために準備をしてきました。

初聖体に関してよく聞く逸話に、こんな話があります。

リーダー「○○ちゃん、初聖体おめでとう!今日は、とってもうれしそうだね。」
子ども「うん、だって、今日からは初聖体のための勉強もしなくていいし、教会学校も行かなくてもいいってママが言ってたもん!」

こんな話を聞くと、何のための初聖体・祝福式なのか、わからなくなってきます。しかし、六甲教会の初聖体をいただいた子どもたち、祝福を受けた子どもたちの、はにかんだようなうれしそうな顔を見て、そんな心配は吹き飛びました。子どもたちは、神様からの秘蹟・祝福に預かり、共同体全体から祝ってもらったことへの大きな喜びでいっぱいなのです。これから紹介する子どもたちの感想文の行間からも、その喜びがあふれ出ているようです。

最後に、初聖体・祝福式とパーティのためにご協力いただいた多くの方に、心より感謝いたします。どうも、ありがとうございました。 そして、これからも子どもたちが信仰の道を歩み続けることができるよう、ともに祈り続けていきましょう。

(教会学校リーダー 三澤)

■ 子供たちの感想

わたしは、はつせい体でパンをもらえるのをとても楽しみにしていました。けれど、じっさいにはそれだけではなくていろいろなじゅんびがありました。べん強会や洗礼式、当日のリハーサルは、ろうそくのもち方など、けっこうこまかいところまで教えてもらいました。本番では、入どうの時ちょっときんちょうしました。すごくたくさんの人が来ていたのでびっくりしました。はつせい体をいただいた時、神様がきて下さったなぁと思いました。おいしかったです。ぶどうしゅも、ちょっとのんでみたかったです。いつもよりミサがみじかく思えました。これからは、パンももらえるし、ミサに出るのが、楽しみです。神様がわたしの中にいて下さるのを思って、前より人にやさしくしようと思います。

(マリア・テレジア 井上)

ぼくは、はじめてパンをいただいた時、ぶどうしゅをつけるって聞いたから、どんなあじかどきどきしたけど、ついていなかったからどうしてかなって思ったよ。ぼくは、いやなことからすぐにげていくので、心の強い人になるためいっしょっけんめいがんばるから、神さま、どうか見まもっていてください。

(大天使ラファイエロ 奥山)

わたしは、洗れいをうけてないので、はつせい体ではなく、しゅくふくしきでした。しゅくふくをうけるのは二人だけでした。なので、すこしはずかしかったけれど、やっぱりうれしかったです。しゅくふくをうけている時、かみさまに近づけたような気がしました。

わたしは、はつせい体ではないので、「ベール」をかぶれませんでした。それが、ちょっとざんねんでした。でも、いろんな人がてつだってくれたおかげで、とてもいい一日になりました。

(小山)

わたしは、イエスさまのごせいたいをはじめていただけてうれしいです。土曜学校に来た時から、「早くはつせいたいをうけたいなぁ。」と思いました。そしてはつせいたいの日が来ました。その日のバンバンしん父さまのお話の中に「きらいだと思う人には、おいのりしてかみさまの力をかりなさい。そして、きらいな人にもすきな人にもみんなにあいさつをしなさい。」と言われました。そしてバンバン しんぷさまに「まいちゃんはきらいな人にもあいさつできる?」と聞かれてなかなか答えられなくて、ずっとうーんと首をかしげていました。でもそのあとできらいな人にもあいさつをしようと思いました。つぎの日の朝イエスさまがいつもいっしょだと思うとゆうきがわいてきて、前にがてだった人に「おはよう!」とあいさつするとむこうも「おはよう!」といってくれて、とてもうれしかったです。これからもイエスさまといっしょに人にやさしくできるようになりたいです。

(クリスティナ 斎藤)

 

4月27日、初聖体で、 きれいなふくをきてイエスさまの体をもらってうれしかったです。

(ルチア 坂本) 

はじまるまえ、ものすごくドキドキしました。そしてはつせいたいがはじまりました。おみどうにはいってから、おかあさんがぼくのすわるせきのうしろにいました。ものすごくドキドキしました。でも、いっかいめ外にでて、にかいめに入ってくるときはどきどきあんまりしませんでした。そして、パンをもらうときがきました。ぼくは、やったーとおもいました。それで、パンがぼくの手の上にのせられました。ぼくは、それをパクっとたべました。でも、そのパンはなにもあじがなかったので、ちょっといやでした。さいごにうしろにいたおかあさんからろうそくをもらい、それから、でるときバンバンリーダーがろうそくに火をつけてくれました。それからしゃしんをとってくれました。

(ペトロ 清水)

ぼくは、初せい体をうけてうれしかったです。二年生でべん強していた時、はやくごせい体をいただきたいなとずっと思っていました。ミサの間とてもきんちょうしたけどがんばりました。

(ルカ 末宗)

わたしは初聖体をうけてとってもうれしかったです。学校では初聖体を教会でうけないともらえないので、これからはいつでもホスチアをもらえるようになるからです。学校では、まい日ミサがあればいいなと思います。

(ソフィア・バラ 中島)

はつせいたいやしゅくふくしきの後においわいをしてもらっていろいろなリーダーから手紙をもらってうれしかったです。しゅくふくしきの時にイエスさまのことがよくわかりました。

(橋本)

今日は初聖体です。始めにならんでいた時はあまりきんちょうしていなかったけど少しきんちょうしてきました。ぼくは入場していく時前の人と間をあけなければならないと思ったら間をあけすぎてしまいました。ぼくは第一ろう読を読むことになっていました。そしてまちにまった初聖体です。そしてバンバン神父様にイエス様の体をいただきました。そのパンはなにも味はなかったけれどなんとなく何かの味がしたような気がしました。ちょっときんちょうしたけれどうまくいったと思いました。

(使徒ヨハネ 比企野)

初聖体の日は、とてもきんちょうしました。やっと神さまの体をもらえるようになって、うれしかったです。あとのパーティーがたのしかったです。

(グレゴリオ 福島)

はつ聖体の時わたしは一年間教会学校で教えてもらったことをおもいだしていました。そしてとうとうこの日がやってきたと思うとうれしくてたまりませんでした。じしゃかいにはいったのでもっともっとかみさまのことをしりたいです。リーダーやシスターしんぷさまありがとうございました。

(ルチア 松井)

今日のはつせいたいでいろんな人がきてくれてよかった。うれしかったよ。ぼくもこんどはつせいたいをうける子どもたちといのったりしてあげたいな。

(ステファノ 宗行)

わたしは、27日に初聖体をうけることができて、とてもうれしく思っています。これからも、神様がそばにいてくださると思うと、いろいろなことにチャレンジできそうです。

(マリア・ラファエラ 渡部)

■ 初聖体・祝福を受けた子供たちへ

1年間子どもたちは神様のことをたくさん聞き、少しずつイエズス様のなされたことがらを覚えていきました。そしてそれが自分にもできたらいいなぁと思いながら色々話してくれました。息子は弟子たちの名前を覚え、自分の霊名が弟子と同じ名前であることを認識し、聖人伝のお話を聞いていました。十字架の道行、錬成会を経て、少しずつ期待と不安をもって迎えた初聖体の日、白衣に十字架をさげた姿は本当に清くどこか輝いていました。たくさんのお恵みを頂き、聖霊に満ちあふれていく子供たちの祭だんでの輪は私たち大人へも改めて信仰を見つめ直し祈ることを教えてくれた思いです。このたくさんのお恵みとともにいつも神さまとともにいて祈る気持ちを大切に信仰をはぐくんでいってほしいです。 

(ペトロ清水の母)

うちの息子は今小学3年生ですが、生まれつき脳の中枢神経の障害で言葉も話せません。教会学校でお友達のように神様のお勉強も出来ず、ご聖体に預かりました。

日曜の教会のミサでも人の多さや不安で門に入るのすらダメだったり、白の服は試着の段階でイヤがっていたので、この調子では当日神様にお会いするのは無理かなと思っていましたが、奇跡がおこりました。じっと立っていられなかったり皆様にご迷惑をおかけしましたが、神様の子としてご聖体に預かる事が出来、感無量です。又、皆様に最後温かく拍手も頂いて、とてもうれしかったです。初聖体を受けた子供達が神様の大きな愛と恵みを受け、大きく成長してくれますように。

私も初めてキリストの体を頂いた時を思い出し、初心に返り、今回息子が祝福を受ける姿を見て、改めて"神様の子を育てている"と確信しました。これからも障害という暗いトンネルの中の一筋の信仰という光をたよりに、神様と共に前進していくので、よろしくお願い致します。

(ヨセフ大田の母)

子供たちの信仰

スペインでは、次のようなことがあった。6才のA君は授業が終わってから、学校の聖堂の中で聖櫃を見ながら、おやつを食べていました。しかし、A君を見かけた先生は、彼に厳しく注意しました。「どうして、こんな所で食べているのだ? 聖堂で食べることはいけません!」

「先生、イエス様はいつもここに一人でいるから淋しいだろうと思って、今日はイエス様と一緒に食べに来ました」

「何だと? イエス様と一緒に食べるって? おやつを食べているのは、お前一人ではないか?」

「しかし、先生、僕は"イエス様、おやつ如何ですか?"とちゃんと聞きましたよ」

先生の怒った顔は、急に変わりました。もう何も言うことが出来なくなり、子供の心と信仰は素晴らしいものだと感激しました。そして、子供たちが遊んでいた運動場に戻った時、自分はA君と同じようにはイエスを愛していないことに気が付きました。

(ヨンパルト神父)

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