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主任司祭より(10月)

 [神の愛と"神の国"]1年半程前テレビのインタビューで、アメリカの映画俳優シャリー・マックレーン(80日間世界一周やアパートの鍵貸します等の主演女優)が大変信仰深い答えをしたと聞きました。「天国に行った時、貴女は神様にお会いするでしょう。その時、神様から何を言って貰いたいですか?」と云う質問に、彼女は「一つの言葉だけで充分です。"貴女は今までずーと天国にいましたね"と神様に言って貰いたい」と答えたのです。私達凡人なら"やっと天国に来ましたね。或いは、まーよく天国に来れましたね? しかし、地上で多くの苦しみに耐えたので、永遠の安らぎのうちに休んで下さい"という慰めの言葉を期待するかも知れません。しかし、彼女は現世とか来世とかいった区別に捕らわれることなく、いつも神様と一緒にいることが最上の幸せと感じていたのでしょう。現世と来世ではその状態に完全と不完全、明白と朧気などの微妙な差(大差?)があるかも知れませんが、神様と交わり、いつも一緒にいることが天国の状態であるという彼女の信仰は本物だと思います。

イエスも「時は満ち、神の国は近づいた」(マルコ1章)と言われました(注:マタイ福音書だけが天の国という表現を使っているが、神の国と同義語であり、共に神の支配を意味している)。"神の国"はイエスの宣教活動の中で、最も重要な位置を占めています。聖書を注意深く読んでいくと、イエスの存在そのものが"神の国"の到来を示す徴候であり、イエスが貧しい人を心にかけ、苦しむ人・哀しむ人を憐れみ、病気の人や罪人をいやされた、その救いの言葉と愛の行為は"神の国"が如何なる状態かを垣間見せています。人々が"神の国"はいつ来るのかと尋ねると、「神の国は、見える形では来ない。ここにある、あそこにあると言えるものでもない。神の国は、実にあなた方のただ中にある(共同訳:あなた方の間にある)」(ルカ17章)。即ち、"神の国"はあなた方の心の中に、互いに愛し合う者同志の中にある、神が共におられるから、と答えられたのです。イエスは弟子達に祈りを教えられた時にも、まず「天におられる私たちの父よ、・・み国が来ますように」と祈りなさい。即ち、永遠から永遠に神様が愛によって治めておられる"神の国"がこの地上でも実現して行くように祈りなさい、と教えられました。しかし、現実の世界を見ると、はたと考え込んでしまいます。人間の世界はいつの世も弱肉強食の"地上の国"であり、日々経済闘争が絶えない"競争社会"です。私達は生きて行くのが精一杯で、時には目先の安楽な生活を求め、"神の国"への憧れは死後に追いやってしまいます。今は仕事もあり家族の世話もあり、忙しくてそれどころではない。戦争や災害があり、辛い病気にもなるし、神様にお会いする時間の余裕はありません。・・だから、天国があるなら死後ゆっくり満喫させて下さい。本当に神様がおられるなら、その時に・・というのが人々の素朴な想いでしょうか?

  男女高校生の純愛を描いた小説「世界の中心で愛を叫ぶ」(片山恭一著)の中で、女学生が白血病で亡くなる前に、二人の間で次のような会話が交わされています。『(願うものを)あの世とか天国に求める必要はない。今在るものの中に、全てが在ると思う。だから今ここに在るものは、死んでからも在り続けると思う』と。そして彼女の死後も、実は、彼女を想い続ける彼が存在していると云うことは、彼女は今も共に生きているのだ、と。二人は、今の愛が形は変わっても永遠に続くと確信するのです。この小説を涙ながらに一気に読んだという若者が多いそうです。愛の深まりは、人間存在の哀しさ・もろさを知ることから始まるのではないでしょうか? 私達も愛する者との出会いや別れの中で、また辛い試練の中で神様を体験するとき、永遠なる神の愛に捕らわれて行くことでしょう。神の愛に憧れる方は、♪♪愛といつくしみのあるところ、神はそこにおられる♪♪ という聖歌を何度も口ずさんでみて下さい。"愛あるところに、神まします!"という真理が迫って来るかも知れません。
       

 桜井神父


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