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ヨンパルト神父公開講座

第1回「生きる権利の文化と死ぬ権利の文化」
9月27日の初日には神父様の教え子・青山学院女子短期大学の河見誠先生が、法学博士ホセ・ヨンパルトという学者の神父様をご紹介下さいました。
神父様は沢山の本を書かれています。法哲学、刑法並びに憲法、日本文化、キリスト教とご専門は多岐に渡っていますが、冷たいと思われる法律の中で、人間のあり方、尊厳、生き方を血の通った言葉でお話下さったのは印象的でした。
文化の語源はラテン語で「耕す」の意味を持ち、人間が作り上げるものである。従って人跡未踏のジャングルの中では自然はあっても文化はない。人間が作るものであるから平和の文化もあれば、戦争、武器の文化もある。いい物、悪い物の判断はしなければならないが、自分の国の眼鏡で他の国の文化を眺め、自分に合わなければ駄目としてはならない。言葉は文化の固まりであり、自国に固執せず、他の国の人間の文化として尊重すべきであり、文化相対主義と云うより「人間文化主義」と自分は云いたいと云われた時は、法学者の中に宗教家としての神父様のお顔がみえました。
その他、昔の堕胎罪が母体保護法となり、刑法には抵触しないが生まれる前に殺される子供の数は増えている。それも親の経済的理由によるものが多い。自殺は経済の豊かな国ほど多く、貧しいと云われる国は少ない。安楽死、尊厳死と沢山な問題が提出された2時間でした。
「法学は難しいものではない。その国、民族の鏡である」と云うお言葉を重く受け止めました。

(内山)

第2回「戦争の文化と平和の文化」
企画に心引かれながらも私用の調整がつかず、辛うじて第2回のみ参加できたのですが、思いに勝る恵まれた学びの時を戴き、感謝の内に一部分ながらご報告させていただきます。
天候にも恵まれ満席のホールで手渡されたレジュメに従って講義は始められた。
まず、「戦争と平和の事実と理論の四時代」として、ご専門の古代からローマ時代を経ての主な各法哲学者の学説、エッセイのご紹介に持ち時間の大半を注がれ、その真摯なご講話振りに私は遥かな学生時代に返った思いで、疲れも覚えず聴講させていただきました。「日本国憲法の第9条(事実として何が放棄されたか)」に続く「現存の日本固有の平和主義」「将来世界に永久平和の実現は?」という話題については時間の関係で、参加者からの質疑や意見発表に切り替えざるを得なかったことは、お気の毒の極みで残念なことでした。
そして「憲法と自衛隊の間には、合理、整合性に欠ける部分はなかろうか?」との講義終了前の鋭いご指摘を、私は改めて重く受け止めましたが、敬服の思いに駆られた方は少なくなかったのではと拝察致しました。
当日のミサの中での「各国指導者が自国の利益のみにとらわれず、世界の平和実現のために、神様のお知恵を賜りますように」との共同祈願を心に刻み、選ばれた神の民として一人一人が何を為すべきかを問いつつ、勇気をもって歩み続けたく念願しています。
終わりに、平和旬間に続き、このようなご企画・実行に心砕いて下さった養成部の皆様のご労苦に、心から感謝申し上げます。

(宗保)

第3回「死刑の文化と死刑廃止の文化」
ヨンパルト教授は、日本の死刑に関するお話を国民全体の問題として捉え、人間として、法学者の立場から話された。
世界を見渡すと死刑廃止の国が多くなっているが日本にはまだ死刑制度がある。死刑の存続・廃止の問題は、考え方・立場・時代・感情等の問題があり意見が分かれる。
教授は、日本の死刑制度、運用の問題点等を写真や資料を用いて講義された。その中で『秘密主義』『気まぐれ』『司法の恥』という三点を強調された。日本の死刑執行は、ある朝突然本人に告げられ、その日に行われてしまう。これは他の国にはない日本だけの『秘密主義』。死刑の執行は法務大臣の署名によって行われる。いつ誰が処刑されるかは全て書類を回す官僚、法務大臣次第。法律が決定するのではなく人によって決められるので『気まぐれ』という表現をされた。『司法の恥』では、死刑囚の平沢さん(帝銀事件、獄中で病死)のことを例に話された。平沢死刑囚の時効は30年。逃亡し逃げきったなら30年で時効が成立する。獄中生活30年以上の平沢さんは獄中から逃亡しなかったので時効は成立しない。まさに"法の不平等"『日本の司法の恥』と教授は話された。
大国で死刑制度があるのは、米国の一部と日本のみ。近い将来日本も死刑制度は廃止されるであろうと教授は予言された。
驚きあり、ユーモアあり、そして考えさせられる2時間でした。

(山本)


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