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体験学習のテーマ:「愛の連帯性」

11月号の教会報で前述されたように、今月号では、インドネシア体験学習に参加した日本側の青年たちと社会活動部の記事を以下のように載せていただきます。

社会活動部の参加者より(福田)
青年部のインドネシア体験学習の振り返りの途中で失礼をしましたが、坂を教会のほうへ下りる時、かなりうれしい気持ちでした。自分には子供が無いので、青年たちの親の気持ちはわからないけど、自分の年齢の半分の皆さんが、同じテーマをこんなにもまじめに、ざっくばらんに話合える不思議さを感じました。全員、いい顔をしていました。全員と目を合わせることが出来ました。

多分今までは、自分にとって、努力をするけれど、無駄に終わる雰囲気です。過去何度も経験しています。でも今日は、ぜんぜん違いました。わが子と思うと、叱られるでしょうが、思うことは自由なので、そう思わせていただきました。この思いがいつまでもあれば、我々社会活動部も青年の皆さんと一緒に、この神のお導きであるすばらしい体験を、持ち続け、発展させていくことが出来そうな気がしました。何度も云いますが、最高のインドネシア体験旅行でありましたが、最高の六甲教会体験旅行でもありました。とにかく、この体験をキープしていきましょう。" One thing, keep in touch with them for ever."


見る・出会う・ふれあう・感じるということ      阪野(ゴミ山でのホームステイ体験話)
 現在人々、とくに、日本のような先進国といわれるような国々に住む人間にとっては世界で起きたことや、今起きていることをほぼ同時に情報として得ることができる。もちろんインドネシアについても様々なメディア(書籍・TV・インターネットなど)を通して多くの情報を知識として獲得できるだろう。今回ホームステイしたような同じ社会のなかでも生活水準が低い地域における現状については、以前からTVや本などで見聞きしていた。このプログラムのために、われわれは数回ながらも勉強会をひらき準備をしてきた。その際、バンバン神父は繰り返し「今のインドネシアを実際に見て、感じてください」、とおっしゃっていた。

 今回、私がホームステイをさせていただいたところは、ゴミ山で資源ゴミを拾い集めて現金収入を得て生活を営んでいる地区であった。ホームステイ初日は、夕方頃から家に行き、顔合わせをしたあと、外でぶらぶらしていると知らない間に子供たちがたくさん周りにいて、すぐにとけ込むことができた。子供たちとはホームステイの間、毎日遊ぶこととなった。二日目は、実際にゴミ山での資源集めを体験した。私たちが同じように見よう見まねでゴミの山に入って作業をすると、すぐに色々な人が声をかけてくれた。もちろん、私たちができるのは本当にごく一部であり、むしろ邪魔になっていただろう。ホームステイの間、午前と午後の作業を終えると、ほとんど子供たちとの遊びで時間が過ぎていった。

私は、勉強会やそれ以前からも頭の中で恵まれない人びとの生活をある程度は理解しているつもりであった。しかし実際に「見る」経験をさせてもらうと、それまでの私の理解の全てが否定されたように思えるほど、経験を通して感じることの大きさを知ることとなった。そして考えることは、「恵まれない人びと」とは一体なんだろうか?支援するとはなんだろうか?
現実問題として、ホームステイ先の生活環境は決してよいものではなく、彼らの仕事、子どもたちの将来を考えると、自分一人では、それらの問題を整理することは非常に困難なものである。しかし、このプログラムの経験を無駄にしないためにも私たちは何をすることができるだろうか?答えは、何かしてあげるのではなく、人びととふれあい、互いに理解しようという心を持ち、問題に対してともに考え、ともに行動し、ともに喜びを分かち合えるようになること、それこそが本当に必要なことに思える。今私ができることを考えると、まず私たちが経験し感じたことを少しでも多くの人々に語りかけ、心に働きかけることができるように努力することであるだろう。

今回のプログラムを通して私は本当に多くの人々との出会いをもった。それは異国であるインドネシアの人々とだけではなく、同じ国の日本人との出会いでもある。しかしそれらの出会いから、国や宗教、さらには言葉を越えて、同じように顔をあわせて、話しをし、ふれあうことが、どれだけ財産となるかを認識することとなった。そして、この財産である「つながり」が切れることのないように、ゆっくりでもかまわないから、着実に太い「つながり」へとはぐくんで生きたい。


体験学習を振り返って            村田(ゴムの農園でのホームステイ体験話)
今回のインドネシア体験学習は私にとってとても貴重な体験となった。それは、たくさんの人たちとの出会い。聖ヨセフ教会に着いた日、日本の私たちを温かく歓迎してくれたインドネシアの青年たち。そしてホームステイでお世話になった家族の人たち。言葉も通じず、挨拶と感謝の気持ちを言うことだけで精一杯の私に、家族の人たちはいつも笑顔で、そして優しく接して下さった。必要な物しかここにはないけれども、それでもみんなはいつも幸せそう。

「こうして、みんなで一緒に食卓を囲んで食事が出来るということだけで、ものすごく幸せなんだよ」というお父さんの言葉に、私は日本で何てぜいたくな暮らしをしているだろうか……と考えさせられた。家には必要以上のものにあふれ、物には恵まれているけれど、何かまだ足りないような気持ちがしていて、何となく毎日が過ぎていく。しかし、ここではゆっくりと時間が流れ、みんなの笑顔をいつも見ることが出来る。本当の豊かさというのは、物や環境に恵まれているということではなく、どんな状況でも、自分自身の気持ちが豊かであるという所に、本当の幸せ、本当の豊かさがあるのでは……と思った。

日本に戻った今、私自身、心の豊かさを自分の中で見つけながら、日々生活していきたいと思う。このようなすばらしい機会を与えてくださった神様に感謝。


Sr 佐藤 道子の日記(農業の村でのホームステイ)
○ 体験学習に出かける前に4回ほど準備の日をとったが参加できず知り合えないまま出発の日を迎えた人もいた。にもかかわらず関西空港に行くバスの中でみんな意気投合して、すでに一つの共同体が出来た!と感じた。3日間のホームステイから戻って久しぶりに出会った顔は、全員にこにこ、目が輝いて活き活きしていた。とてもいい時を過ごしたあとの顔だと思った。お腹もこわさず元気だったことに感謝した。

○ 自然とともに生きている地域の人々の生活に現実の私の生活を重ねてみた。私たちは"自然を守りましょう "と言っているけれど、それはおごった考えで自然を守るのではなく、人は自然に守られて生きていることを忘れているのではないかなどと思ったり、後の世代によい自然を残せるように資源の無駄使いに気を使おうと思った。私たちに家を開放して下さった家族の人に心から感謝したい。身も知らないしかも外国人を家に入れることは不安もあったのではないかと思う。宗教が違っても信頼してくださり、オープンに、フレンドリーにむかえいれて自由にさせてくださった人々に出会えた旅であった。







体験学習の最後のプログラムは、参加者から教会への報告会でした。その行程の報告、現地の風俗などの紹介の展示に加え、自分たちの体験を映像と共に報告し、それぞれの感想を語りました。
思いがけず多くの、しかも青年たちとは年代の違う年輩の方々が出席下さり、熱心に話を聞いておられ、また鋭い質問、厳しい指摘をして下さいました。それにうまく答えられなかったり、自分たちの思いを正しく伝えられないもどかしさ、不甲斐なさを青年たちは感じたということです。
 このような、世代を超えての交流は大切なことだと思いますし、また何かの機会にこのような交わりの場を設けられたら、と思いました。

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