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救い主イエス・キリストのご降誕おめでとうございます

 2000年前、貧しい馬小屋で一人の赤ん坊が誕生しました。今生まれたばかりで、すやすやと眠っているだけの小さな命です。その小さな命を全て委ねているかのような、他者に信頼し切っているかのような、誰をもありのままに受け容れているかのような、そんな安らかな魅力をもった赤ちゃんです。どんな人でも近づけるような無力で柔和な姿でお生まれになりました。幼子自身も、この世に生まれてきたことがこの上もなく嬉しかったのではないでしょうか。実は私たちも、この幼子と全く同じように、可愛い可愛い無垢な赤ちゃんとして生まれてきました。まだ何の役にも立たないのに、まだ世話を受けるだけなのに、人間として生まれてきたということだけで家族も周りも喜び一杯だったと思います。赤ちゃん自身の気持ちも、きっと生まれてきたことが嬉しかったのだと思います。

  さて、この幼子は貧しさの中でも一家団欒のひとときを楽しみ、近所の子供たちと遊んだり美しい自然に触れながら、すこやかな人格に成長していきました。特別に大人びた顔をしていた訳でもなく、普通の子供、普通の青年だったようです。両親に仕え、人と交わり、仕事に励み、沈思黙考する。私たちと同じように・・。しかし、この不条理な世界を・・、喜びと哀しみのある人生を・・、1回限りの生涯を・・、深い深い愛をもって通り過ぎて行きました。彼には特別な使命があったのです。命よりも大切な使命でした。人間に真実の喜びを与え、まことの幸せを伝えることでした。どんな人間も、否、人類全体も長い長い悠久の歴史の中で、この一点を渇望してきたからです。そして、今もこれからも、人間は同じ一点を渇望し続けていくのだと思います。

 彼は人々に捨てられ、はりつけにされるという不条理な死を遂げました。人間存在が持っている哀しみやどうしようもないエゴ(自己中心)を、そのまま受け取られたのでしょうか。この方の不条理な死は人類の歴史を一変させたのです。人間の歴史を内面から変革したのです。一人一人の人間が、否、人類全体が求め続けてきた心底の渇望に光を与えたのです。クリスマスは、この方の誕生を感謝のうちにお祝いします。私たちも人間として生まれてきたことが、大きな喜びに変わったのです。
                                      六甲カトリック教会主任司祭 桜井神父


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