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2004年初聖体・祝福式の感想

■こどもたちの感想
私は、初聖体を受けて神様、そして、イエス様に近づけて、うれしいです。なぜかと言うと、イエス様が私の体の中に来て下さるからです。私は、神様が一緒にいて下さると、心が落ち着きます。こわい事も、悲しい事も、神様が一緒なので、たえれます。ご聖体をいただく事は大切な事なので、一生の宝物だと思いました。

(マグダレナ・ソフィア 小谷 そよ楓)

きんちょうした。そしてじんわりうれしかった。ぼくがそんけいするイエス様の体をいただけるようになったから。これからは、いつも神様といっしょにいれると思うと元気があふれ出てきます。ぼくがわるい道をえらぼうとするときにいい道にもどしてくれると思うからです。心の中でいつもイエス様とおはなししてどんなことでもそうだんしていこうと思います。

(パウロ 西芝 孝介)

しゅくふくをしていただきありがとうございました。2年生のときのべん強会では、イエス様、かみ様のことで、知らなかったことを、たくさん知りました。いつもイエス様といっしょにいることがしんじられるようになりました。これからも、もっとべん強していきたいです。

(江見 かのん)

私は去年、初聖体や祝福を受ける人たちを、見学しました。みんな(女の子)白い長い服をきて、白い花のかんむりをしていました。とてもきれいだな、と思いました。さて、今年は私たちの番です。ドキドキとなる心ぞうをおさえきれず私は、ひたすら手をあわせて、前へゆっくりすすんでいきました。みんなのしせんが「ピーン。」とかんじて心ぞうの音が体中に広がったように思えました。私はよく式の時にひんけつをおこします。私はこの時にひんけつをおこしてしまいました。式がおわるころには、おさまったので、ほっとしました。ひんけつの時にお世話をかけてすみませんでした。

(久野 彩)

しゅくふくしきを行って、かみさまに一ぽちかづきました。もっともっとちかづきたいです。

(松本 康)

前の日はどきどきしてねむれなかったです。はつせいたいをうける時、とてもきんちょうしました。ぼくはずっとパン(イエスさまの体)をもらいたかったのでとてもうれしかったです。けれどはつせいたいのとききていた白いふくはあつかったです。

(アウグスチヌス 近藤 耀太)

日よう日のみさのときおとながイエスさまのからだをふつうにたべていたので、「おいしいのかな?」と、思っていてたべてみたら、あじがしませんでした。はつせいたいをうけれてよかったです。すこし神さまにちかづけたし、すこし大人になったきがします。

(ラファエル 佐藤 遼)

わたしは、18日、はつせいたいの時、たくさんの人においわいしてもらえてとても、うれしかったです。はつせい体の時わたしは、ろうどくをしました。きょうかいがおわったあと、みんなに「ろうどくうまかったね!」と言われました。その時は、もっともっと、うれしかったです。それとはじめてはつせいたいのパンをいただいたとき、「イエスさまの体をいただいたんだなぁ。」と思うと、とてもうれしかったです。やっとお姉ちゃんたちといっしょにいただけるようになったんだなぁと、思いました。でもきたいしていたほどパンはなんのあじもしなくて少しがっかりしました。二年生の一年間イエスさまのことをリーダーたちと、一生けんめいべんきょうしてきました。とてもたのしかったです。これからも毎週ごせいたいをいただいて、もっともっとかみさまやイエスさまのことをべんきょうしたいです。神父さま、リーダー、シスターたちどうもありがとうございました。

(マリア・テレジア 高橋 啓花)

ぼくは、イエスさまのことを少しだけべん強しました。十字かの道行きでイエスさまがふっかつされることをお母さんといっしょにべん強しました。いつもみさでお父さんや、お兄ちゃんやお姉ちゃんが、ごせいたいをいただいててぼくも、早くいただきたいと思っていました。とうとうその日がやってきました。白いふくをきて入場したときは少しきんちょうしました。そしてごせいたいを手にしたとき早く食べたいんだけど、ドキドキしました。あじはにがかったです。イエスさま、ぼくはくるしくても、がんばれる人になりたいです。おうえんしてください!!

(アシジのフランシスコ 大迫 亮太)

前の日のリハーサルの時からきん張していましたが、無事に初聖体をいただく事が出来てうれしかったです。また、たくさんの人に祝福していただいてとてもうれしく、幸せに思いました。ろうそくにともされた光を見て、あらためて清らかで、おごそかな気持ちになりもっと良い子にならなければいけないと感じました。ぼくたちのために色々ありがとうございました。これからもっと勉強していきたいのでよろしくお願いします。

(ペテロ 宮本 友暉)

私が祝福をうけた時感じたことは、祝福をうける時、シスターやいろいろな方々に見られて、少しドキドキしました。これからも教会学校で、イエス様のことを、たくさん学び、大人になっても天の父である神様のお話をわすれずに頭の中にしっかりと入れておきたいです。

(田中 翔子)

はつせい体はすごくたのしかったです。それからかみさまの体をもらってかんどうしました。これからもいっぱいがんばりたいです。しんぷさまが言ってた、シャロームとかもべんきょうできてうれしかったです。キリストの体(パン)をもらってすごくらっきーに思いました。

(エミリーマリア 福田 恵美莉)

ミサがはじまる前は、ドキドキしました。私たちは、ミサがはじまった時しずかに入っていきました。ミサの中で私は、はじめてごせいたいをいただきました。しゅくふくのお友だちもいました。みんなきんちょうしていました。これからもみんなと教会学校でイエス様のことをもっと知るようにしたいです。ミサがおわる時みんなでロウソクをもっておみどうを出ました。お母さんたちがたくさんりょう理を作っていてくれました。ビンゴも楽しかったです。おいわいしてくれてありがとうございました。

(マリア 藤原 里帆)

ぼくは初聖体をうけて、少しお兄さんになった気がして、イエスさまがぼくの心に来て下さったと思います。そして、ぼくの悪いところもとって下さったと思います。ぼくは初めてパンをいただいた時、パンにはイエスさまのお心が入っていると思いました。ぼくはそれを考えながらパンをただきました。イエスさまがぼくの心に入って下さってうれしかったです。ぼくの初聖体の時ぼくの家族みんなおいわいに来てくれました。教会学校のお友だち、リーダー、シスターや神父さまとおいわいができてとてもうれしかったです。

(フランシスコ 吉村 公博)

はつせいたいのならびかたはむづかしかったよ。ちょっときんちょした。

(パウロ三木 内田 尚宏)

はつせいたいのはじまりのとき、ぼくは、むねがどきどきしました。でも、パンをもらえてとてもイエスさまにかんしゃしています。

(フランシスコ・ザビエル 坂本 玲雄)

ぼくは、はじめはドキドキしていました。だけど、ぼくは、これから、ミサの時、祝福をうけるのではなくて、ご聖体をいただけるということをうれしく思います。ミサの時、ご聖体をいただいて口の中に、入れた時さいしょえびせんみたいにちょっとかたかったけど、おもったよりのみこみやすかったです。これからも神さまのこと、どんどん知りたいです。シスターやリーダーたち。ありがとうございました。

(ミカエル 小林 篤史)


はじめての初聖体をうけたのでドキドキしました。ほんばんです。はじまるまえにツバをはの所にちょっとだけおいて、「ごくん。」と、のみこみました。さいごのきもちは、ハーやっとおわったーていうきもちでした。

(フランシスコ・アシジ 清水 聖二郎)

みんなにおいわいしてもらってとてもうれしかったです。白いようふくをきて、きれいな花かざりをつけて、すこしドキドキしたけど、しんぷさまが「天使のようですね。」と言ってくださったのでうれしかったです。これからも神さまのことを勉強してやさしくて、りっぱな人に、なりたいと思います。

(山木 美陽)


■保護者の感想
息子が晴れやかな顔で初聖体式に臨み満足げに終えたことに「ホッ」としたというのが正直な感想です。同時に、初聖体に向けてご指導くださったシスター、リーダーの皆さんに心から感謝・感謝でいっぱいです。子どもへの最高のプレゼントとして幼児洗礼を望み授けていただいてから8年、その間家庭でやってきた事といえば(せめて、「神様」、「イエス様」という言葉を馴染みある響きとして耳に刻んでほしいという思いで)・・・保育園の送り迎えする車中毎日のように『イエスさまがいちばん!』と『大波のように』を親子で大声合唱し、『主の祈り』を早口言葉のように言いあって、競い合ったことぐらいです。
ご聖体を頂く姿を見るにつけ思うことは、どんなに生活行動範囲が広がり教会や家庭以外の場所で過ごす時間が長くなっても、イエス様に背を向けることなく、耳に刻んだ言葉をさらに心に刻みそして行動に刻んでいってほしいということです。ひたすら祈るばかりです。
日常の中で神様の事を話題にするきっかけを下さっている教会学校、そしてリーダーの皆様に本当に感謝いたしております。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

(パウロ 西芝 孝介の母、西芝 裕香)

初聖体、祝福式を終えて、教会学校のリーダーをはじめ子どもたちをときには厳しく、また暖かく見守り、支えてくださったすべての方々に心から感謝いたします。
この初めてご聖体をいただくこと、祝福の恵みをいただくということの意味は、私の中では曖昧なもので、ずっと理解できずにおりました。子供たちが一年間かけてそのための準備をするとうかがっても、母親である私はわからないことはわからないまま聞くことも学ぶこともせず、それは、ひたむきな幼いひとたちに比べてなんと怠慢だったか。
それなのに、ろうそくを手に持ち、子どもたちが去ったあと、私の心は何ものかで満たされて、とてもやすらかだったのでした。
あれから、お式の日にいただいた「お祈りしたいな」という本を繰り返し読んでおります。神様と出会うということ、お祈りするということの意味を私なりに考えているところです。

(松本 康の母、松本 久美)


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