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静かに穏やかな心で作っていく平和 (8月)

日本では8月になると一斉に「平和」や「反戦」の声が高まります。
私が22年間奉仕した東京の聖イグナチオ教会周辺では、近隣に迎賓館や大使館などの各国政府関連施設があるという場所がら、8月は毎日のようにたくさんの反戦運動が繰り広げられます。そのなかには、教会(キリスト教)とアメリカを短絡的に結び付けてしまう偏った考えのグループもあり、そういった方々から直接、教会へ嫌がらせの電話などを受けたこともありました。

確かに毎年8月は、私達にとって、広島・長崎、二つの原爆記念日、そして終戦記念日のある特別な月であり、過去の悲惨な戦争経験を思い起こし、あらためて平和を考える良い機会であることは間違いありません。またこのことは、日本人だけではなく、世界中の人々にも、同じことが言えるでしょう。

しかしながら、この時期に「戦争反対」「世界平和」を拡声器を通して声高に叫ぶことだけが、真の平和への道でしょうか。ここで、暴力とは何かについて、一緒に考えてみましょう。
人を肉体的に傷つける暴力はいうまでもありませんが、ことばや態度で相手を傷つけることは、当事者にとってはもちろんのこと、その周りの人の目にもあからさまな、目にみえる暴力です。戦争は、個人の枠を超えて(しかしながらその個人を犠牲にするわけですが)国家間でおこなわれる目に見える暴力の最たるものでしょう。

ところが、この世の中にはもっと恐ろしい暴力があります。それは目に見えない暴力です。みなさんは、すべての人に開かれた心で接していますか?
相手の方に良い感情は抱いていないにもかかわらず、口先だけの友好関係を築いているなら、それは本人には分かっていても、相手や周囲の人には分からない目に見えない暴力です。心の暴力と言ってもいいでしょう。

それぞれのひとが、相手の考え方、習慣、その方の置かれている環境や立場など、その存在のすべてを認め、ひらかれた透明な心をもって接しあうことによって、初めて真の平和が生まれるのではないでしょうか。イエズス様が教えられたように、すべての人がうわべだけではなく、本当に心から隣人を愛しているなら、暴力や戦争は起こらないのです。

戦争がないことが平和であると考えがちですが、決してそうではありません。真の平和とは個人個人の生活の中にあるものです。ひとりひとりがどのような意識で平和を求めているか?求めている平和がどこまで実行されているか?平和は、政府高官の人だけでつくっていくものではありません。ひとりひとりが培っていくべきものです。われわれひとりひとりに責任があるのです。

個人個人がその生活の中で静かに穏やかな心で平和を実践するなら、世界で唯一原子力の悪を体験した日本人は、大音量のスピーカーで怒鳴らずとも、全世界に平和を訴えることのできる、説得力のある素晴らしい立場にたっているといえるでしょう。
もう一度、アッシジの聖フランシスコの「平和を求める祈り」を思い出してみてください。
あなたは「平和の道具」になっていますか?
God bless you.
祈りのうちに

バレンタイン・デ・スーザS.J.


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