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「待つ」というめぐみ
〜待降節によせて〜
 コンビニエンスストアで、またファーストフードのお店で、レジに並んでからお釣りをもらうまでの速さは日本が世界一であるときいたことがあります。ビルの上から、町の様子を眺めると、信号が青にかわったとたん、走り出すかのようにみんな急ぎ足です。お母さんは、好奇心のかたまりであちらこちら寄り道をして歩く小さなこどもに「早くしなさい」と急がせます。わたしから見た日本人は、待つことを忘れてしまっている、待つことが分からなくなっているように見えます。日本ではスローペースな私でさえも、インドに帰国すると兄弟たちから「なぜそんなに急ぐ?」といわれます。恐ろしいことですが、知らず知らずのうちに、日本のスピードの波にのまれてしまっているようです。

わたしたちにとって一番大切な方の誕生を待つ季節に入りました。この4週間の大事な準備の期間にみなさんは何を感じ、何を考えますか?家族や親しい人へのプレゼントのこと、クリスマスパーティーでの美味しい食事やケーキのこと、または街のきらびやかなイルミネーションや華やかな雰囲気を思い浮かべる方々も多いことでしょう。

わたしたちは、母の胎内で10ヶ月を待ってこの世に生まれてきました。両親はもちろんのこと、家族やその友人たちも、10ヶ月の間その誕生を心待ちにしていてくれたことでしょう。主イエズス・キリストの誕生を迎えるこの季節は、「待つ」ことの大切さを悟らせる機会でもあります。ただ単に待つのではなく、待つその時間の意味を考え、待たされることで、人の心は成長し、その結果、心の満足、充実があります。待つ場所(あるいは待たされている場所といってもいいでしょう)は、人が充ちて行く場所でもあるのです。

わたしたちの周りには大人やこども、ご老人や若者、健康な人や病気の人、早い人や遅い人、さまざまな人がいます。わたしたちは、普段あまりにも自分本位で、それぞれの人のペースにあわせて待つことを忘れがちです。待つこと、すなわち相手を認めて、その立場になることは神様からいただいたわれわれの大きなめぐみです。一人一人の個性、独自性を大切にし、お互いの立場を認めるということは、相手の方にも神様のめぐみがあるということに気付くことです。主イエズス・キリストはわれわれをもっと豊かな人間にするために、わざわざ人の形をとってお生まれになり、豊かな人間であるとはどういうことなのかを身をもって示されました。イエズスさまは、私たちが早くそのことに気づくことを待っておられます。スピードを手に入れたかわりに、心を滅ぼしてしまっては何にもなりません。「待つ力」をもった人になりましょう。各人が「待つ力」を持つことができれば、教会もひいては社会も大きく変わっていくことができるでしょう。

主イエズスの誕生を迎え、また新しい年を迎えるこのときに、一年のしめくくりとして、もう一度神様が与えてくださったこのめぐみについて思いおこし、そのめぐみを個人の生活に取り入れていくことができれば幸せだと思います。


God bless you.
祈りのうちに
バレンタイン・デ・スーザS.J.

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