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降誕祭に寄せて

 12月ともなれば、巷はクリスマス一色になる。近年はそれが教会の中まで及んできた。信徒の活動が囃される今日この頃、教義もろくに知らず信仰生活もあやふやな信徒が、自身の世俗を教会の中に持ち込んでいる。降誕祭とは何か。堕罪した人類が再び至福に与れるように、神ご自身が自ら地上に我々と同じ肉体を取り、自らを贖いの生け贄とされた。その贖いの成就を、人類が五感にふれる形で知った最初である。

復活の主日には、我々は手放しで喜ぶことができます。しかし、降誕祭は果たして手放しで喜べるのだろうか。ヨーロッパの古謡にしばしば歌われる言葉、「この嬰児は罪の贖いの生け贄」。「生け贄」、それは人類の最も残酷な行為であり、それ故に究極の行為である。ベトレヘムの厩に走った牧羊者たちと同じく、この「嬰児」の前に我々は跪き頭を垂れて胸を打つほかない、それが降誕祭の始まりである。降誕祭の喜びは、贖いの「生け贄」が与えられたことを知った喜びに他ならない。主の福音を静かに味わおう。天使たちと共に主の救いを告げるために・・・。  
         

三好榮之助


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