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接点の11月

 今年も素晴らしい実りと収穫の季節がやって来ました。皆さまにも、今年実ったもの、人に味わってもらえる収穫はあったでしょうか?1年も終わりに近づき、11月はその年を振り返ってみる良い時期でもあります。

 26年前、わたしがベトナムから日本に上陸したのもちょうどこの季節、11月のことでした。福岡の港から長崎の難民収容キャンプに移動するときに見た柿の木が今でも鮮やかに思い出されます。真っ赤に熟した柿の実が葉のない枝にたわわに実っていました。その様子は、楽園の知恵の実をイメージさせるほど強烈な印象を与え、祖国ベトナム脱出のための長くて苦しい時間を経て、ようやく日本にたどりついたわたしにとって、実りの象徴のようにも思えました。また、思いもよらないわたしの人生の大きな転換期と重なって、季節の変わり目の象徴ともなりました。

 その柿の木の根元には枯れ落ちたたくさんの葉がちらばっていました。役目を終えて、地面に落ちた無数の葉をみると、わたしは自分の先祖のことを思い、ひいては自分の知らないところでわたしを助けてくださったであろう多くの方のことを思いました。11月は死者の月です。ベトナムのカトリックの家庭では、11月の毎日、日本のお盆のように先祖にお供えをして祈りを捧げます。わたしは初土のミサで、特に無縁の霊魂のために感謝の祈りを捧げることにしています。先祖はもちろんのこと、亡くなられた多くの方々の苦労や努力があって、今、自分の命を与っている。自分の知らないところで、自分の知らない人が自分を支えてくれている。今生きている方もすでに亡くなられた方も関係なく、人はみな何らかの形で繋がっています。無縁の人はいないのです。そういった多くの人たちの上にある現在の自分を思うと、死者の月はわたしにとっては一つの実りでもあるのです。

 人間関係の粗雑化が進む現在、先祖を思って、自分の存在を考えることは信仰のひとつの生き方です。今私が持つ文化、価値感、信仰心、そういったことを先祖が代々築き残してくれたのだということが、祖国を離れると切に思い出されます。またそれが、現実に戻るための原動力になり、心の支え、自分が実っていく方向を示す人生の羅針盤にもなります。人生においても同じことがいえるのではないでしょうか。人にはそれぞれ過去があり、過去がなければその人の歴史も価値もありません。過去にとらわれ過ぎてもいけませんが、今を生きるために過去を振り返ることは大切です。それをステップにして、前向きに進んで行くべきだと思います。

 信仰生活において、実りはこの世にはありません。この世はあくまでも復活の神秘に与るための一時の準備期間です。実りと季節の変わり目でもある11月はわたしにとって、死者と今を生きる自分、自分の過去と将来、そして、この世と父が導いてくださる先にある天国を考える「接点の月」であるともいえます。

高山親神父



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