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より豊かな人生を送るために

 誰しも人の死は悲しいものです。また誰しも自分の死は恐ろしいものです。
愛する人を亡くして悲しむこと、寂しがること、自分の死を想像して、あるいは自分の死に直面して、恐ろしくなること、不安でたまらなくなること、これは人間の自然な思いであり、人間らしさの表れです。
どうして私たちにとって死は悲しく、つらく、怖いものなのでしょう?
それは私たちが死を個々の人生と切り離して考えてしまうからではないでしょうか。
死は自分が生きている“今”と別の次元のものではありません。死は私たちの日常の延長線上にあるのです。生まれては死に、生まれては死に、祖先から子孫へ、世代から世代へ脈々と受け継がれる命の流れの中に、私たちはいるのです。 一人の人間の死は、長い長い人類の命の繋がりの中のひとつの過程です。
キリストの死と復活で始まる私たちの信仰は、死を否定的にとらえるのではなく、積極的にみるものです。私たちは神さまのところから来て、神さまのところへ戻るのです。死を通らなければ、神さまのもとへ帰ることはできません。私たちキリスト者にとって死はまさに、神さまのもとへ帰るステップに過ぎません。
結婚や出産など、数々の人生の喜びの場面には、十分に用意して備える私たちが、必ずやって来る死の準備をしないでいることは不思議なことです。それはきっと、死はある時突然やって来るから備えようがないと考えるからでしょう。 しかし誰しも、1日が終われば、1日死に近づくのです。 死という出来事を生活の一部として受け入れ、自分の死を迎える準備、愛する人の死を見送る準備をすることができれば、より豊かな人生を送ることができると思います。
                                     God bless you.
                                     祈りのうちに
                                     バレンタイン・デ・スーザS.J.


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