ホーム 六甲教会について お問い合わせ
み心のままに迎える

今年の夏、休暇をとって故郷に帰りました。シカゴに着いて、「ただいま」という言葉が心にうかんで来ました。兄弟たちに歓迎されて、とても嬉しく思いました。家族や懐かしい人々に会いに行くのは嬉しいことです。しかし、心厚く歓迎されることはもっと嬉しいことです。故郷では、兄弟たちが本当に良くしてくれました。

 そして、9月初めに日本に帰って来ました。ふたたび心に「ただいま」という言葉がうかんで来ました。しかし、もっと嬉しかったことは、みなさまに「お帰りなさい。」と声をかけられたことです。ここでも、心厚く歓迎されたと感じました。

 今年も待降節を迎え、ご降誕の準備に入ります。この準備は2000年以上前の救い主の誕生を記念するためだけのものではありません。イエスさまがいつも私たちと共におられ、様々な日々の出来事を通して、私たちのところにおいでになることを思い出すことです。また、イエス様が最後の日に全てを完成するために再びお越しになることを思い出すことです。

 聖書のことばを思い起こしてください。「あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」(ルカ12:40)

待降節の間に、この偉大な神秘をより深く心の中に刻んで、信仰生活を向上させるように努めましょう。イエスさまがみなさま一人一人の歓迎を待っておられます。祈りを通して、また1日に起こるできごとや人との出会いによって、イエスさまを歓迎することを、より深く意識することができます。イエスさまが望んでおられるのは、ただ純粋な心で歓迎されることなのです。豪華なクリスマスの飾りやプレゼントに食事、そのようなクリスマスの祝い方はイエスさまを歓迎しているとは言えません。私たちは頂いた恵みを活かして、その信じる心を磨いて、真心をこめて、イエスさまをもっと歓迎していきましょう。

もう一つの素晴らしい歓迎の方法は、ゆるしの秘跡をうけることです。私たちは人間の弱さで様々なことにとらわれています。それはイエスさまの歓迎を妨げています。ゆるしの秘跡を通して、誠実な糾明のもとで罪を告白して、ゆるしをうければ、より豊かにイエスさまを歓迎することになります。

イエスさまはいつも私たちの心の扉を叩いておられます。待降節は心の扉を開け放してイエスさまをありのままに受け入れましょう。そうすれば本物のクリスマスのお祝いになります。自分の都合によってではなく、相手の事情を認め、その人の立場になって歓迎することが大切です。自分の思いを優先させるのではなく、み心のままに、イエスさまをお迎えしましょう。

ジョン・オマリー神父



ページ先頭へ ホームへ
 六甲教会について お問い合わせ
(C) Copyright 2002 Rokko Catholic Church. All Rights Reserved.