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入院の実り 〜感謝のことば〜

 皆さんがご存知のように、1月後半から入院をして、ひざの人工関節の手術を受けました。皆さんの祈りのお陰ですべてが順調に回復してきました。心から感謝しています。

 入院している間にいろいろなことを考えました。入院の体験のもとで、自分では何もできず、本当にすべてを主にゆだねました。主にだけではなく、病院の先生、看護師さん、病院の方々にもすべてをゆだねることになりました。最初は不安を感じましたが、すべてをゆだねることによって心の平安を感じました。入院していても、生命の危機はいろいろあります。血栓のことや感染のことなど、不安を感じるたびにもし何かあったら、そんなに天国ははなれていないのだと時々考えました。

 そして、すべてをゆだねたと言っても、大勢の人の祈りによって支えられて、安心していました。家族のきずなやイエズス会の兄弟とのきずな、六甲教会の共同体とのきずなは大きな力でした。人に会うことができなくても、みんなの祈りがよい実りを結んで、病院の毎日の生活を静かに過ごしました。みんなの祈りを頂いて、与えられた愛をより深く味わいました。人のために祈るのはとても大事な愛のしるしです。だからこの祈りに支えられて淋しくはありませんでした。特に司祭として、みんなの祈りを頂いて、愛されているものだから、司祭の道は孤独ではないのです。逆に司祭としての人々との係わり合いで本当に豊かです。感謝でいっぱいでした。

 今、四旬節に入って、イエス様のご受難、ご死去、ご復活の偉大な神秘を心の中に入れて、この偉大な神秘を生活の中に“生きる”のは大切な努力です。リハビリの時に思いました。人間は元気な体を保ちたい、それ以上に丈夫な心を保ちたいと願うものです。そう思いながら行うリハビリは祈りです。祈りを通してイエス様にかなう心を得たいと思います。特に、何かの理由で苦しんでいる人たちを仲間にして、仕えるように努力するのは素晴らしい四旬節の努めです。苦しんでいる方を直接手助けすることはいつもできるわけではありませんが、その人たちのために祈ることは、いつでも、どこでも、誰にでもできます。私たちみんなが同じ人間としての苦しみを抱えています。病気でなくても、戦争でなくても、不正に苦しんでいなくても、どんな人生の中にも不自由なところがあります。だからイエス様の十字架への道を黙想して、どんなつらいことにあっても人々とともに歩み、祈り、共に励ましあい、復活の希望をいつも持って進んでいきたいと思います。

 みなさん、入院している間、大変お世話になりました。今年の四旬節を通して豊かな恵みを受けることができる様、祈ります。またこの場を借りて海星病院のみなさんにも感謝いたします。ありがとうございました。

                                          ジョン・オマリー神父

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