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「信徒の教会」になるために」

 今年もらった年賀状の中に次のようなメッセージがありました。「今年は、六甲教会が信徒の教会になるように祈ります。」
  事実、世界中のカトリック教会には神父が少なくなり、教会に居る神父も年をとってきました。自然にカトリック教会は信徒のものになるでしょう。しかし、司祭が少なくなる ことについて、神は何をおっしゃっているのでしょうか? 神からのメッセージは何でしょうか? 私たちは何を受け入れるべきなのでしょうか?
  現実として、今年は六甲教会が信徒の教会となるめの出発点と捉えてはどうでしょうか?今までは、教会の運営は司祭が中心となって行われてきました。確かに、司祭にしかできないミサが教会の中心だからです。

 洗礼者ヨハネは牢の中からキリストの元に人を送り、尋ねさせました。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たねばなりませんか。」そしてイエスはヨハネについて語り、言われます。「知恵の正しさは、その働きによって証明される。」(マタイ11-3〜19)
 私たち信徒は福音を実現していますか? 今のところ、司祭だけに限られている、司祭にしかできないことは、ミサを行うことと告白を聞くことだけです。私にできることはそれだけです。本当に限られています。それに比べ、信徒のできることはどんなことがあるでしょうか? それぞれが自分の場所で働いています。それでも、実際に今のところ、その働きは充分ではありません。歴史的に見て、いつの世も、信徒は自分の役目を意識しているとはとても言えません。
  どうすべきか? 自分に与えられている使命をどう果たすべきか? 今年の四旬節に神からのメッセージに耳を傾け、祈りの中で、神との語らいの中で、考えてみて下さい。教会を自分たち信徒の教会になるように、何をすべきか? 何をしなければならないのか?       
                                             (コリンズ神父)

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