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誰に挑戦が必要か?

 人生は挑戦だと言われますが、四旬節も信者にとって挑戦です。教会の回心への呼びかけに応えるのは、その挑戦です。

 昔の四旬節はいろいろのしきたりによって厳しいものでした。断食の日もありましたし、食卓に肉のでない日もありました。子どもの時、四旬節の間、何を犠牲にするか、よく強調されました。断食にしても、子どもには年令の免除もありましたが、母はまだ若く、やはり断食しなければならなかった。母は真面目に朝と昼を少ない量にして、夜には普通の食事をしました。私たち子どもにとって、それは嬉しいことでした。その夕食は何故かとてもおいしかったのです。しかし、8人の子どもを育てる母の生活は、いつも節制の生活でした。

 今は四旬節のしきたりが多くなっても、四旬節の挑戦が残ります。イエズス様が言われたのは「私についてきたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私についてきなさい」(マタイ16-24)その十字架は何でしょうか? その十字架は自分の現状を素直に認め、忠実にイエズス様についていくことです。自分の現状は何であるか、人によって違います。病気であるか。何が失敗であるか。何が試練であるか。いずれにしても、どんな場合でも気を落とさずに主に信頼して歩んでいくことです。

 でも、ひとりで十字架を背負っていません。シモンがイエズス様の十字架を、イエズス様と共に十字架を担いだように、あなたの十字架はイエズス様が一緒に担いで下さっています。人生の十字架を背負うのは、自分の力ではありません。イエズス様の力です。だから、どんなことが起こっても、どんな変化が起こっても、主に信頼して共に歩き、共に十字架を背負います。変化を受け入れるのは、ひとつの挑戦です。挑戦にあうのは年令とは関係ありません。子どもでも成長の変化によって、その挑戦に応えなければなりません。

 今年4月に、私はひとつの挑戦にあいます。皆さんお聞きになったと思いますが、4月1日より神戸中央教会で働くことになりました。この挑戦は、今年77歳になる私に必要でしょうか? 必要かどうかはどうでもいいのです。その挑戦に応えることは、私にとって大切な成長の歩みです。22年前、神戸に来て、六甲教会の主任の仕事を受けたことは大きな挑戦でした。実に不安に思っていました。六甲教会は伝統のある大きな教会でしたので、私にできるかと不安に感じました。今では懐かしい思いです。すべてを主に投げて、できることをしようと考え、皆さんに支えられ、14年間も主任の務めを過ごしました。これからも、新しい場所にあっても、自分の力に頼らず、主の力に支えられて、宣教の活動を続けたいと思います。そのために皆さんの祈りを頼みます。この挑戦に応えるのは、十字架を背負うことになりますが、皆さんの励ましに支えられて、イエズス様と共に歩み続けていきます。長い間、大変お世話になりました。皆さんを通していろいろの恵みを頂きました。感謝いたします。遠く離れてはいませんので、神戸中央教会の近くに立ち寄られたら、訪ねて下さい。20年前の元気さは持っていませんが、与えられた力で頑張っていきたいです。
                                          ジョン・オマリー神父

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