ホーム 六甲教会について お問い合わせ
 アメイジング グレイス (神の驚くべき恵み)
                                   

評議会 副議長  蛭田  

 ある病棟の看護師長さんが私に次のような話をしてくれました。
「時々お見舞いに来られている60代の女性が、或る日廊下の隅っこで、遠く海を見ながら歌っていました。私はそばを通り過ぎたので"いい歌ですね"と声をおかけしたら、"落ち込んだらこの歌を歌うと落ち着くのです"と言われたそうです。 家族のどなたが入院されているかは分からないが、お見舞いにきて行き場のない気持ちを、歌うことによって自分自身を癒やしておられるのだろう、と私はその時思いました。そして日々何気なく患者さんと接しているが、私自身も家族の複雑な心境を少しでも理解し、関わらなければいけない」と。
そのお見舞い客が歌っていた歌はあの有名な聖歌「Amazing Grace(アメイジング グレイス)」で、歌詞は「♪驚くばかりの神の恵み なんと心地よい響きだろう 私のような哀れな人間までをも救ってくれた 一度は見失っていた自分を見つけ、かつては盲目だったけれど、今は見える……♪」
 
 また、私の勤めるクリニックでは、多くの透析患者さんがおられます。或る日、私は30年以上も透析生活を続けられている患者さんに、「〇〇さん、30年もの長い間闘病生活を耐えてこられた原動力は何ですか?」とお聞きしたら「神様への感謝と前向きな生活ですよ」と、微笑みながら即座に言われました。その患者さんはキリスト信者ではないけれど、私はそのような答えが返ってきたことに驚くとともに、私自身日々の生活の中で、その患者さんほど「神の恵み」に気づいていないことに恥ずかしさを覚えました。

 現在、私は神戸地区評議会にも携わっていますが、その会合に行くといつも六甲教会は恵まれているなと思うのです。他の小教区は神父、信者数、財政など多くの問題を抱えています。それだけに神戸地区における六甲教会の役割の大きさを痛感するのです。しかし、当教会においても近い将来、同じような問題が起こってくるでしょう。教会活動の多くを占める諸々の行事、時にはどちらでも良いような行事に忙殺され、神様との関わり、宣教司牧に時間を割くことを忘れてはいないでしょうか。一度静かに信徒としてのあるべき姿、将来の六甲教会の姿を考えて見ることも大切だと思います。(自戒も込めて)教会には"癒し"、"心の憩い"、"慰め"などを求めて来られる方もたくさんおられます。今後、神父さんが減少する中、"信徒中心の教会"への環境づくりの為に、もっと信徒同志が互いに"分かち合える場"を持たなければならないと思うのです。毎月発行している教会報の紙面に「信徒の教会つくり」や「みんなの広場」を設けていますが、このコーナーを通じての"分かち合い"も一つの方法だと思います。

 「我々は皆、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理とは、イエス・キリストを通してもたらされた。」(ヨハネ1章16−17) 個人としても、共同体である教会の家族の一員としても、この溢れるばかりの「神の恵み」に感謝し、受け容れながら、信徒としてなすべき道を求め、歩み続けていきたいと思います。

ページ先頭へ ホームへ
 六甲教会について お問い合わせ
(C) Copyright 2002 Rokko Catholic Church. All Rights Reserved.