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さようなら、また会う日まで
                                 
桜井彦孝神父 
  信徒が中心になって奉仕する教会、ひとり一人が大切にされる教会、互いに信仰を深め合う教会を目指して、皆様と一緒に歩んできましたが、過ぎてみればアッというまの9年間でした。光陰 矢の如し。此の世の時間は、夢のように過ぎ去ってゆくのですね。

思い起こせば西暦2000年大聖年の春、東京から故郷の六甲教会に帰ってきたのは、イエズス会入会後30年ぶりのことでした。喜びも悲しみも幾年月・・・・。

その間に身内では長兄、母、義姉、父、兄の順で見送りました。六甲在住の間には、教会の家族として親しかった方々、友人・知人など多くの方々を天国にお見送りし、イエズス会の兄弟としては、武庫神父・中井神父・メルシュ修道士・フリン神父など敬愛していた方々ともお別れしました。

春爛漫、美しい桜花を眺めていると、親しかった故人のご生涯や共に過ごした日々の思い出がありありと胸一杯に拡がってゆきます。「さまざまの 事思ひ出す 桜かな」(芭蕉)。もう少し一緒にいてほしかった、あの時このようにしてあげれば良かったと・・・・ひとり 一人の命がいとおしく感じられます。

如何なる宿命なのでしょうか、私たちは此の世に生きている限り、愛する人の死に逢わずにはおれません。

この9年間ずーと私の心中を占めていた想いは次のようなことでした。すべての人が旅人のように通り過ぎて行く此の世とは一体何なのか? 一回の地上の人生とは何か? 人と人との出会いとは何か・・・・という想いでした。というよりも、むしろ祈りだったと思います。神様、悟らせて下さい、という祈りだったと思います。

しかし、自分自身の言葉で確信をもって表現できるような、納得のいく悟りはありませんでした。此の世のことは不可解かつ神秘のままが良いのかも知れません。しかし、人間が永遠なる神のふところに救われることについて、私は確信しています。

此の世でどういう縁なのか、夫婦、親子、兄弟、また友人、知人として出会い、交わり、愛し合い、助け合ったり慰め合ったり、時にはゆるし合ったりして睦み合い、深い絆で結ばれた者同士が死によって永遠に別れてしまうことなど決してない、そのようなことは決して認められないという確信です。

神のもとで必ず再会するという確信です。出棺の際に度々感じたことですが、"愛する者といつまでも一緒に生きていたい"という願いが人間の究極の渇望だと感じました。それを成就されるのは神の愛であり、救い主イエス・キリストの死と復活にあずかることだと信じています。

私たちには、「主の復活」という希望に満ちた神の救いと恩寵が与えられているのです。どうか皆様が、六甲の地に「主の教会」があって本当に良かった!という感謝と喜びをもって歩まれますように祈っております。

 さて、お別れの時がきました。この9年間に一番よく歌った聖歌をお届けして旅立ちたいと思います。皆様にお会いできて幸せでした。ありがとうございます。またお会いする日まで、さようなら。     
     
    ♪ 神ともにいまして ゆく道を守り あめのみ糧もて 力を与えませ ♪       
         ♪ また会う日まで また会う日まで 神の守り ながみを離れざれ ♪
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