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図書紹介       『ナザレのイエス』
                       教皇ベネディクト16世 ヨゼフ・ラツィンガー
                                      早野 泰昭 訳
                                     

  「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠の命の糧、あなたをおいて誰のところに行きましょう。」 この書物を読み終えて、思わず口を衝いて出たことばは聖体拝領直前に唱えるこの一節であった

 この書は序章の他10章から成っており、イエスの洗礼を1章として、2章・イエスの誘惑、3章・神の国の福音、4章・山上の説教、5章・主の祈り、6章・弟子たち、7章・譬えの使信、8章・ヨハネ福音書の主要な象徴、9章・イエスの道行きを画する二つの重大な出来事、10章・イエスの自己表明 として述べられている。現代の有数の神学者(ユダヤ教のラビを含む)を引き合いに出しながら、「聖書のことばは教会の中において常に現存している」という事実を、緻密に、大いなる説得力をもって論証して行く。とりわけ、共観福音書とは異なる立場として「イエス詩」の如く扱われがちなヨハネ福音書を、「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち命の言について」と始まるヨハネの手紙によって、ヨハネとその弟子たちによる記憶と認識の書として示す章は、胸躍る思いで読み進んだ。象徴言語とされる水・パン・ぶどう・羊飼いなどもヨハネが意図したものではなく(文学的に表されたものでは更になく)、旧約のことばがイエスにおいて現実となって行ったことが思い起こされてそのままに語られていること、「譬えは過去のことと思われた物語から、突然に現在の聴衆の状況へとかわる」こと、更には今現在私たちの周囲で起こっている状況へと変わることから、現存するイエスをまさに体感させられる章である。最終章「イエスの自己表明」では、来るべき「人の子」とイエスの同一化へと進み、「イエスによって実際に生きられた無化(ケノーシス)と栄光に輝く彼の再臨との内的な一致は、イエスの行いと言葉の、生涯を通しての統一的なモティーフであり、正に新しいもの『真正にイエス的なもの』である」と締め括られる。そしてこれこそが今を生きる私たちの指針となるものだと導かれる。
 深まり行く秋に向かって、お手元に置いて頂くことをお勧めしたい一冊である。         
                                                  (久野)

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