ホーム六甲教会についてお問い合わせ

      内面の成長を   

                                          コリンズ神父

 今年も復活祭前の準備期間、四旬節が巡ってきます。「準備期間」といいますが、一体、何の、どのような準備をすればいいのでしょう。

 「四旬節をどのように過ごしたらよいでしょうか」とよく聞かれます。と同時に、四旬節中は「映画を観ません。」「欲しい買い物を控えます。」「特別な祈りをします。」等ということもよく耳にします。「好きなことを我慢する」それはそれで良いでしょう。しかし、そこに心の準備が伴わなければ、それは表面的・形式的な、ともすれば義務的な準備でしかありません。

 四旬節に限らず、待降節においても、教会の動きは毎年同じことの繰り返しです。組織としての教会が、目に見える行事などを行うことによって、準備するしかないのは仕方がないことですが、ここに司祭を含め信徒が、繰り返される動きに慣れっこになり、形式的な四旬節におちいってしまう危険性があります。

 言うまでもなく四旬節はイエス・キリストの復活をふさわしく迎えるように、キリストの受難と死を黙想し、犠牲・罪の償い、回心へと導かれる「心」の準備期間です。復活のキリストに出会うために、一人ひとりの心の準備が大事と感じています。

 この機会に「祈りの生活」を振りかえってみるのはどうでしょうか。去年の四旬節の祈りと、今年の四旬節の祈りに違いはあるでしょうか。内面的な成長があったなら、去年と祈りは違っているはずですが、実際にはほとんど何も変わっていないと言う人が大半でしょう。

 祈りにも成長が必要です。そのためには一度立ち止まり、振りかえって、繰り返される祈りを新しい目でみていく必要があります。四旬節は自分を振り返り、内面的な成長をする良い期間です。そういった準備は、我々の内面的成長となり、心から復活のキリストを迎えることができるのです。

 一人で祈るのもよいですが、キリストの復活を待つ準備期間ですから、皆と一緒に祈ることも良いことだと思います。聖書の分析や勉強をするのではなく、皆が集まって沈黙のうちにただ祈る。それだけで十分に、内面的な成長があるのではないかと思います。

 今年の四旬節は、「○○をします・しません」といった外面的・否定的な準備ばかりではなく、祈りを通して自己を振りかえり、内面の成長を促す積極的な心の準備をしてみてはいかがでしょか。
こういったことが四旬節・待降節といった特別な期間だけでなく、日常的に、自然にできるようになることを願います。

ページ先頭へ ホームへ
 六甲教会について お問い合わせ
(C) Copyright 2002 Rokko Catholic Church. All Rights Reserved.