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六甲教会の思い出

                                赤松 広政 神父


今は司祭として六甲教会でお手伝いをさせていただいています。どうして大勢の人が教会に来てくださるのか不思議に思うことがあります。教会に人が来なくなると、司祭は大変困るのですが、幸い六甲教会には日曜日に大勢の人が来てくださいます。ミサの中で人々に感動してもらえるような説教を司祭がするわけでもなく(たまにはあるかもしれませんが)、それでも大勢の人が教会に集まってきます。なぜでしょうか。また教会の中での司祭の役割は何でしょうか。そのようなことを考えながら、わたしと六甲教会とのかかわりを振り返って見ようを思います。

私の父は神戸大学(当時の神戸商大)で経済学を五百旗頭先生から学びました。そのご子息は現在、震災復興構想会議議長です。五百旗頭先生はとても敬虔なカトリック信者で、その影響で父はカトリックの洗礼を受けました。大学を卒業後、父は徴兵を受けて軍隊に入り教会からは離れてしまいました。

その後私の二人の妹が、できたばかりの小百合児童館の幼稚園に入園することになって、わたしたちの家族はカトリック教会との関わりができました。父はすっかり無神論者となり、イエス・キリストの奇跡物語には反感を覚えていたようでした。しかしわたしが土曜学校へ行ったり、妹たちがカトリックの教育を受けたりすることには反対しませんでした。

わたしが小学校4年生の確か冬だったように思います。裏の銭湯が失火して自宅が全焼してしまいました。その日から一家がばらばらで知人の家のお世話になるという生活が続きました。わたしと二人の妹は深刻な思いを持つことはありませんでしたが、両親は悲嘆にくれていたようです。その時、妹たちが通っていた海星小学校と六甲教会の皆さんに大変よくしていただきました。慰めの言葉、授業料の免除や衣服・食料の提供など思いもよらないような親切を受け、両親はカトリック教会と六甲教会に大変よい印象を持ちました。このことがきっかけとなり、母と二人の妹は当時の主任司祭ブラウン神父様から洗礼を受けました。

教会は使徒の時代から相互扶助や困窮者の援助を行っています。「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った」(使徒2章44節)という記述はかなり理想化されているといわれていますが、差別扱いや経済的格差が教会の一致の妨げになることはよく認識していたでしょう。パウロは宣教地において、常にエルサレムの貧しい人のことを心に留め、献金を集めてエルサレムに持ち帰ったようです(ロマ15章25節、2コリント8章9節)。また寡婦に対する特別の配慮がなされていたこともうかがえます(使徒6章1節)。

イエス・キリストは最後の晩餐の席で弟子たちが互いに愛し合うように切に願っていますし、キリスト者が互いに分かち合い、助け合って生きる姿はこの世に対して大きな証になったことと思います。神は永遠にいつも私たちに呼びかけておられることでしょう。神に感謝!

 

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