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  「思い込み」
                                     主任司祭  松村 信也

 15年ぶりに懐かしい北アイルランド(第三修練)に行ってきました。北も南も15年前に比べると随分良くなっていました。それは治安が良くなったこともありますが、町全体が綺麗になったこと、古い建物がリホームされ町全体が明るくなっていたことです。さらに道路の整備と自動車道の充実は、目を疑うばかりでした。古い建物と言えば,当然、教会の建物になりますが、外装もさることながら内装まで完全に修復されていました。新装され躍動する国アイルランドと言いたいのですが、現実は深刻な経済不況であり「信じられない?」そんな印象を受けました。

 久しぶりに“フィッシュ&チップス”を食べに行こうということになり、かつて行ったことのある美味しいレストランを探しました。やっとそれらしきレストランに着いたのですが、どうも昔の店と様子が違っていました。注文したフッシュ&チップスも美味しくなく、店の雰囲気も落ち着きませんでした。友人は、「ここですか?」と疑い深い顔、また食べたあと「美味しくない」と一言…。15年前は、とても美味しかったのに、ここにも経済不況の影響の波か? 実は、フッシュ&チップスの美味しいレストランは、町の中ではなく海沿いの小さなレストランでした。ところが“店は町の中”と思い込んでいた愚かな小さなメモリー・スパン。自分勝手な思い込みから間違って記憶したことが、他人からの意見を聞こうとしなかった。その結果、美味しいフッシュ&チップスにありつけなかっただけでなく、友との口論まで引き起こす結果となったことです。そうしたことは“霊操の旅”の間、しばしば起こりました。

 “思い込み・先入観”がもたらす結果は,混乱、闘争、苦悩、羞恥、頑固そのものです。幾度もそれらを繰り返しながらも頑な心は、素直になること,謙遜に己の間違いを是正することを拒み続けました。しかし,事実を曲げることはできないのです。そして、間違い、思い込みであったことに直面させられるとき、己の愚かさが露にされるのです。そのとき初めて素直になれるというよりも,恥辱のあまり謙遜にならざるを得ないのです。なんと愚かなことかと思いつつも、これが弱さ,人の愚かさというものに気づかされたのです。

 聖書の中に『砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて,その倒れ方がひどかった。』(マタイ7:26?27)とあります。またパウロは次のように言っています。『愚かで無知な議論を避けなさい。あなたも知っているとおり、そのような議論は争いのもとになります。』(Uテモテ2:23)と。まさにその言葉どおりのことが,現実に起こったのです。

人生も仕事も何でも自分に都合のいいことばかりありません。間違い,思い違いは誰にでもあると思います。しかし,そのことに気づいた時,頑な心にならないでその一つひとつを素直に,謙遜に是正できる柔軟な心、寛大な心を育みましょう。

                          キリストのうちに

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