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イエスの傷の中へ

片柳 (助任司祭)

 先日行われたラテラン教会でのローマ司教座着座ミサで、フランシスコ教皇は、イエスの傷に手を触れることを望んだトマスに言及しながら次のように語られました。
「『主よ、私はここにいます。私の貧しさを受け入れて下さい。あなたの傷の中に私の罪を隠してください。あなたの血で私の罪を洗い流してください』と祈ることでイエスの傷の中に入ってゆく勇気を見つけた人を、これまでの人生の中でたくさん見てきました。」
  「イエスの傷に入っていく」という表現は、あまり聞きなれないもので、違和感を覚えた方もいるかもしれません。実はこの表現、カトリック教会中でとても大切にされてきた『アニマ・クリスティ』という祈りに由来しています。

  この祈りはイエズス会の創立者、聖イグナチオが著した『霊操』の冒頭に引用され、『霊操』の普及とともに全世界に広がったため、聖イグナチオの作と勘違いされることも多いのですが、実際にはイグナチオの時代にはすでに一般的に唱えられていた祈りのようです。作者は分かっていません。

  「あなたの傷の中にわたしをつつみ、あなたから離れることのないようにしてください」とこの祈りの作者は願っています。一体どういうことでしょう。さまざまな解釈がありうるとは思いますが、わたし自身は「自分がいま感じている体や心の痛みを、キリストの痛みの一部にして下さい。キリストの痛みと一つになることで、あなたの復活の栄光にもあずかることができますように」という思いを込めて祈るようにしています。そのように祈っているうちに、それまで苦しみとしか感じられなかったすべてのことが、キリストの温もりの中で少しずつ喜びに変わっていくから不思議です。

キリストの傷、キリストの痛みと一体になった痛みには、どんな悪もつけ入ることができません。キリストの傷の中に隠れた人には、「こんな病気になったのは神から見捨てられたせいだ」とか、「この苦しみは無意味なものだ」というような誘惑はまったく無意味なのです。キリストの傷の中に隠れた人は、あらゆる痛みや苦しみが、キリストの愛の中で復活の喜びに変えられていくのをはっきりと感じているからです。
  この祈りと共にキリストの傷の中に入り込み、キリストと一つになりましょう。

アニマ・クリスティ(キリストの魂)
キリストの魂、わたしを聖化し、キリストの体、わたしを救い、
キリストの血、わたしを酔わせ、キリストの脇腹から流れ出た水、わたしを清め、
キリストの受難、わたしを強めてください。
いつくしみ深いイエズスよ、わたしの祈りを聴きいれてください。
あなたの傷のうちにわたしをつつみ、あなたから離れることのないようにしてください。
悪魔のわなからわたしを守り、臨終の時にわたしを招き、みもとに引き寄せてください。
すべての聖人とともに、いつまでもあなたを、ほめたたえることができますように。

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