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もっと「今を大切に生きる」

主任司祭  松村信也

 今月の教会報は、創刊以来500回を数える記念の教会報です。ひと口に500回といっても42年の月日を歩んできています。42年前といえば1970年、高齢者にとってつい昨日のように錯覚します。しかし、1970年といえば先ず想起するのが、70年安保粉砕のために1968年から始まった学生運動、“1970年のこんにちわ”で始まった大阪万国博覧会がありました。それに東京では、銀座、新宿の一般道が歩行者天国になったこと、故植村直巳さんがエベレスト初登頂、アポロ宇宙船13号の打ち上げ、わが国最初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げ成功、そしてあの忌まわしい“よど号ハイジャック事件”がありました。また当時流行っていた歌は、黒猫のタンゴ、ドリフのズンドコ節、誰もいない海、希望、明日に架ける橋、そしてBeatlesのLet it be(あるがままに)が、代表曲だったでしょう。その他たくさんありますが、それほどこの時代は日本全体が良きにつけ悪しきにつけ、躍動的な社会であったと思います。

 さて教会も42年前にフラッシュバックすると、やはり大きな転換期でした。1965年に第二バチカン公会議が終わり、社会に開かれた教会へと生まれ変わります。それまでのラテン語典礼から自国語(日本語)典礼へ、同時に日本独自の典礼聖歌の作曲に連日多忙を極めていました。そして、全国の教会に新しい典礼と典礼聖歌の普及に奔走した時代でした。また第二バチカン公会議は、これまでにない新しい教令を次々に発布しました。その中でも「信徒使徒職に関する教令」は、すべての信者を絶賛させる教令でした。1970年2月には、土井枢機卿が帰天され、後任に東京大司教区補佐司教であった白柳司教が着座した年でした。ローマ・バチカンでは、第二バチカン公会議による新しい典礼や教理の変更に断固反発したマルセル・ルフェーブル神父が、1970年に反動的な聖ピオ10世会を設立した為、教会から破門された年でもありました。このように内外ともに変化の多い「激動の時代」であったと記憶修正しなければならないでしょう。

 500号既刊記念を契機に過ぎ去った日々を振り返り、本当にすべてのものが移り変わっていたことに、改めて驚かされます。この世に存在するすべてのものは刻々と移り変り、変わらないものは何一つありません。つまり、移り変わるのが真理だと見つめていけば、今を大切にして生きるという前向きに、積極的な生き方をすることができるでしょう。勿論、誰もがその時、その時代それなりに大切に生きてきたと思います。しかし、今42年間を振り返ったとき、さらにもっと一瞬、一瞬のその時を“丹精に、素直なありのままの自分で生きる”ことが、いかに大切であるかを意識させられます。

 「明日のことまで思い悩むな、明日のことは明日自らが思い悩む。」(マタイ6:34)今を大切に生きるのです。この歩みこそキリストの道であり、その途上で真理の出会いがあり、永遠のいのちへと繋がっていくキリスト者としての生き方になるでしょう。

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